母の病状記録① 一気にはじまった認知力低下に、うろたえる

年末に自宅での転倒がきっかけで
1月7日にK脳外科へ緊急入院をした母。

母は今も、別の病院で入院中である。

このブログにこのことを書くことは、
適当ではないかもしれないが
2018年の一月に、
母と私たち家族に起こったこと
そして、今も現在進行形で
直面していることを
記録に残していこうとおもう。



1月7日は、母方の祖母の命日で
母の実家のある信濃町へ、
母と私は一緒に
お参りに行く予定だった。

しかし、
おもえば1月6日
日にちを間違えて
母は、
何時に出発するの?と私に
電話をしてきたのだ。
そのときには、一言も
頭がいたいとは
言っていなかった。


ところが7日の午前中
実家に行ってみると
あきらかに母の様子がおかしい。
頭痛でのたうち回っている。

姉のとっさの判断で
母を救急に連れていくと
CTで脳内出血が見られ、
K脳外科へ緊急搬送。
そこで、
急性硬膜下血腫と診断され
母は、緊急入院となったのだ。



K脳外科の担当医師からは

脳内出血が見られたものの
出血が少量のため手術不要。
様子を観ながら、ひたすら安静に。

今後、慢性硬膜下血腫になっていないか
の注意は必要だが、
およそ一週間で退院し、
ご自宅で静養してください、
という説明だった。


その話をきいて、わたしたち家族は
母の状態は、不幸中の幸いなんだと
一瞬は、思った。


ところが、入院中の母は
ベッドのヘリをつかんで耐えるほど
激しい頭痛を訴えていた。

頭痛がひどく、
食事はほぼ手を付けず。
顔はゆがませたまま
はれぼったい顔をしてた。


手足にしびれはないようだが、
脳幹脳梗塞を患っている母なので
脳梗塞の再発の可能性はないか?
念のため、MRIを取ってほしいと
担当医師に必死にお願いするも、
即座に不要と言われてしまった
その対応には
いまだに疑問が残る。


とはいえ、1月10日の時点では
K脳外科の作業療法士さんと
歩行器でトイレにいけるほど
母は回復しはじめていた
ように見えたのだ。

ケアマネさんにも来てもらい
これから必要な
レンタル歩行器の手配まで
済ませていた。


ところが、
毎日、お見舞いに行っていた私は
すこしずつ、母の言動と様子に何かを感じ

看護師長、そして再度担当医師にも
母の様子を話したが、
急性硬膜下血腫はすくなくても3週間は
こんな状態なので・・・と
特に必要な処置は不要と言われてしまう。


疑問と不信を感じたときに
もっと早くに
退院をさせて、そのまま
他の病院へ連れて行ってあげれば
良かったのかもしれない

と、今でもおもうが、

とにもかくにも、
どうしても、母がこのまま
ただ安静で過ごすことが良いとは思えず。


私と父は、
母がK脳外科を退院したその足で
S病院の救急センターへ
母を連れて行った。


そして1月17日。


朝は、なんとか歩行器で歩けていた
母の様子がみるみるが変わっていく。
車いすですわっていても
身体をおこしていられない。


自分の名前は言えても
日にち、場所、時間すべて間違っている。

医師からの基本的な認知症診断テストは
自分の名前以外、ほぼ間違っていた。


そのうち、一瞬だが
私のこともわからなくなった。
血液検査のビンに書いてある
自分の名前も
よめなくなってしまった。


身体も
つかまり立ちもできなくなり、
どんどんと朦朧となっていく。


母に何が起こったのか、
どうなっているのか
わたしは
すぐそばで付き添いながら
わたしの混乱を
なんとか抑えながらも
ほんの数時間のあいだに
母に起こっている急激な変化を
信じられずにいた。

まるで、

手のひらの砂が

あっという間に

こぼれ落ちていくのを

だまってみている


しかないような無力感。



この日、母はECU病棟に
入院となった。
















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by obinatagumi | 2018-02-02 00:52 | 生きるよろこび | Comments(0)

なんでこんな場所に!というような隠れ家店を発掘することが好きな信州在住のインタビュアー&ライターが、信州の隠れ家店や、日々のことを綴っています。


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