カンボジアへの旅 ①calling
2019年 04月 12日
calling
突然、どうしてカンボジアへ旅をしたのか?
というと・・・
2年前の桜の季節,
19年ぶりに懐かしい人と再会した。
私が1998年の8月から4か月間、
イギリスのワイト島に滞在していたときの
ホストマザー・サンドラだ。
ホストマザーと言っても、私とは6歳違い。
彼女の波乱万丈の人生の最中のほんの数か月、
自宅にホームステイさせてもらった私と彼女は
下宿屋のおかみさんと下宿人といった関係だ。
滞在中は、私のへたくそな英語でも、
下ネタから人生哲学まで、
彼女とはいろいろな話をした。
紅茶も飲まないし、女王陛下も好きじゃない
典型的な英国人じゃないサンドラと、
冗談ばっかり言って、不器用でおおざっぱで
典型的な日本人らしくない私は、
ウマがあったのだとおもう。
19年の間には、クリスマスカードが
途切れたりもしたが、
フェイスブックのおかげでまた、
わたしたちはコンタクトがとれるようになった。
私が滞在した年が
ナガノオリンピック直後のこともあり、
サンドラはいつか、
日本でスノーモンキーを観に行きたいと
話していたのだ。[その時は私が案内するよ]
という19年前の約束を果たせる再会となった。
彼女のその夢が実現する旅となった。
サンドラは、日本に来る前の数か月、
アジア各地を旅していた。
そのお土産として私に「アンコールワット」
のポストカードセットをくれた。
おもえば、それが、この旅の始まりだった。
そのポストカードが私のところにきた、
ということに、驚きと興奮を覚えていた。
以前「アンコールワットに行きたい」と
話したことがあったのかと尋ねたが、
彼女によるとそのおぼえはなく、
偶然、私にくれたのだという。
なぜ、私が驚き、なぜ興奮したかというか
いつからか、はっきりと覚えてないが
たぶん10代後半頃から「アンコールワット」の
写真を見るたびに、気が付くと胸のあたりが
ざわつくということがたびたびあった。
最初の頃は、単に、建物の美しさに
惹かれたのだと思っていたし、
実生活でも、初めての海外旅行はイギリス。
卒業旅行でも
ずっと行きたいと思っていた憧れの美術館を巡る
ヨーロッパへひとり旅で、
私は、特別アジアに関心を持つことはなかった。
それでも、ときどき、人生のふとしたとき。
不思議なことに、私のところに「アンコールワット」
の写真がやってくるのだった。
たとえば、新卒で入社した会社の自社ビルの壁には、
アンコールワットの壁画のレリーフが飾られていた。
それに気づいた時
「またアンコールワットだ」と、
すこし身震いをしたことを覚えている。
子育て中の30代の時も、
知人の旅好きな娘さんが学生時代に
旅先で撮った写真を見せてくれたとき、
その中の一枚を私にプレゼントしてくれた
その写真も「夕陽のアンコールワット」だった。
宝地図の講座を受講したときも、
「コルクボードに行きたい国の写真を貼りましょう」
と言われて、主催者の用意してくれた
切り抜き用の雑誌にも
「アンコールワット」が乗っていた。
これだけ偶然が重なるんだから、
きっと縁があるんだろうなと
おぼろげに思っていたが
だからといって、当時の私は
アンコールワットが、
カンボジアかどうかも
あいまいで良く知らなかったし、
日本からカンボジアへはどうやって行くのか、
どのくらいかかるのか、なんてそんなことを
調べることもなかった。
いつか、行きたいなあと頭の片隅にあるけれど、
きがつけば、日々の生活の中で、その願いさえも、
本当の希望なのかどうかまぎれてしまい、
どこか夢のようで、曖昧な希望だった。
しかし、サンドラに渡された
アンコールワットの
ポストカードを手にしたとき、
私は、確信した。
「いつか行ってみたいなあ」と
私が求めているというよりも、
確実に、あちらが呼んでいる
という表現が近いのだ。
つづく。